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バンコクで行われた北朝鮮戦でのニュースを現地から日刊スポーツのサイトに何度か送りました。
(その際のアクセス数も出してもらいました。)
2005.6.8・9

▽ジーコ監督が無観客試合を批判 115,803アクセス
http://www.nikkansports.com/ns/soccer/japan/f-sc-tp3-050609-0001.html
 ジーコ監督が試合後の記者会見で国際サッカー連盟(FIFA)の規律委員会が決めた処分を批判した。北朝鮮戦が無観客試合となったことに触れ「終わったから言わせてもらうが」と話した後、「W杯出場が決まるかもしれない試合で、タイの人も日本のサポーターも試合を見られないのはおかしい。別の形で(北朝鮮に)制裁を与える方法もあったはずだ」と怒りの口調で話した。
 3月30日に平壌の金日成競技場で行われたW杯予選の北朝鮮−イランで観客が瓶や座席をピッチに投げ込むなど暴徒化。その5日前のバーレーン戦でも問題が発生しており、これらに対する処分として今回の試合が第3国(タイ)で、無観客での試合となった。【バンコク=岩澤昌美】
[2005/6/9/00:08]

▽取材エリアに一般人が殺到し混乱 55,714アクセス
http://www.nikkansports.com/ns/soccer/japan/f-sc-tp3-050609-0002.html
<W杯アジア最終予選:日本2−0北朝鮮>◇B組◇8日◇バンコク
 試合後のミックスゾーンが混乱した。タイの警備が緩やかだったこともあり、取材エリアに日本のサポーターやタイの人々が次々と入り込んだ。
 日本サッカー協会の職員が退場を促し、いったんは報道陣以外の一般の人たちを外に出したものの、選手が出てくると再びミックスゾーンに入ってきて、取材ができない状態になってしまった。
 日本ではミックスゾーンへの一般人の立ち入りを厳しく禁じるが、第3国開催で、しかもW杯出場決定でサポーターが興奮していたということもあり、そのあたりがあいまいになってしまったようだ。【バンコク=岩澤昌美】
[2005/6/9/00:38]

▽中田英は無言でバスに、三浦は親指立てる 52,707アクセス
http://www.nikkansports.com/ns/soccer/japan/f-sc-tp3-050609-0005.html
<W杯アジア最終予選:日本2−0北朝鮮>◇B組◇8日◇バンコク
 観客席で観戦していたMF中田英は、試合後、一般人が入って混乱状態のミックスゾーンを歩いて通り抜けた。周囲から声援が送られたが、いつものようにまっすぐ前を向いたまま、無言でバスに乗り込んだ。
 また、この日は出番がなかったMF三浦は「おめでとう」の声に黙って親指を立ててこたえていた。【バンコク=岩澤昌美】
[2005/6/9/00:37]

▽稲本がサポーターにサービス 44,957アクセス
http://www.nikkansports.com/ns/soccer/japan/f-sc-tp3-050609-0004.html
<W杯アジア最終予選:日本2−0北朝鮮>◇B組◇8日◇バンコク
 大混乱のミックスゾーンでMF稲本がサポーターの声援に応えた。ほとんどの選手が無言でミックスゾーンを通過したが、稲本はカメラマンのジェラルミンケースの上に立ち上がって、力強くガッツポーズをして見せた。これにはサポーターも大喜び。「イナモト! イナモト!」の大コールが巻き起こった。【バンコク=岩澤昌美】
[2005/6/9/00:38]

▽大黒、サブメンバーと抱き合う/W杯予選 33,442アクセス
http://www.nikkansports.com/ns/soccer/japan/f-sc-tp3-050609-0006.html
<W杯アジア最終予選:日本2−0北朝鮮>◇B組◇8日バンコク
 だめ押しゴールを決めたFW大黒は、すぐにベンチに向かって走り、ジーコ監督ではなく、サブメンバーと抱き合った。その場面を「誰をめがけてというのではなく、自然とベンチに向かって走っていた」と振り返る。
 「このチームはみんな一緒にやっているし、1月にこのチームに合流した僕にフレンドリーに接してくれた。僕が活躍できたのもみんなのおかげだと思っている。誰が出てもこのチームはクオリティーが下がらないと言われている中、(力はあるのに試合に)出られない人たちが本当によくサポートしてくれた」と話した。【バンコク=岩澤昌美】
[2005/6/9/00:45

▽スタジアム周辺にも日本サポーター 11,115アクセス
http://www.nikkansports.com/ns/soccer/japan/f-sc-tp3-050608-0048.html
 W杯アジア最終予選、北朝鮮−日本が行われるバンコクのスパチャラサイ国立競技場の周辺にも日本サポーターが集まっている。
 試合開始1時間30分前の午後6時に日本代表が競技場に入った時は、無観客試合とあって周囲は静かだったが、15人ほどの日本のサポーターが声援を送った。市内のホテルではパブリックビューイングで観戦が可能だが、スタジアム周辺に集まったサポーターは「少しでも近くにいたい。映像は見られなくても、近い場所から声援を送りたい」と話していた。【バンコク=岩澤昌美】
[2005/6/8/20:17]

▽バンコクのホテルでPV、続々集結 8,300アクセス
http://www.nikkansports.com/ns/soccer/japan/f-sc-tp3-050608-0047.html
 W杯アジア最終予選の北朝鮮戦をテレビ観戦するため、スタジアム周辺のホテルでのパブリックビューイングに日本サポーターが集結した。スパチャラサイ国立競技場から400メートルの位置にあるパトムワン・プリンセスホテルでは地下と4階でパブリックビューイングを行うが、試合開始1時間前の午後6時30分ころから、青いユニホームを着た日本サポーターが集まった。
 地下にはおよそ100人、4階には150人程度が声援を送る見込み。あまりに青いユニホームばかりで見分けがつかなくなるためか、あるいは北朝鮮への配慮なのか、ホテルでは、従業員の一部が赤い北朝鮮のユニホームを着込んでドリンクなどを運んでいた。【バンコク=岩澤昌美】
[2005/6/8/18:54]

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「W杯アジア最終予選特集」で書いたコラムの元原稿 2005.5.10

《実際に掲載された記事について》
「普段はしゃべりの仕事をしていますから言葉がさーっと流れていきますが、書くという行為により言葉が残り、皆さんの目に止まったことに正直驚いています。

今回のコラムでは多くの方からメッセージを頂きました。
この場を借りてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。

メッセージに中で多かったのは「勇気ある文章をありがとうございました」というものでした。
しかし、私は特に勇気を出して書いたつもりはないんです。
今の国同士の関係はどうか分かりませんが、サポーターの間では12年前にあったような険悪な関係ではなくなっていると思います。
それはもちろん、日韓W杯の成功のおかげでしょう。
今でも険悪な関係が続いていたとしたら今回のような記事は書かなかったと思います。
でも、今は本当にいいライバルとなり、いい関係を築いていると思いますから、思い出話のつもりで振り返りました。
これは私の感覚ですから、今の関係に疑問を持っている方には申し訳なかったと反省しています。

拉致という言葉は私も使いたくありませんでしたが、担当者が分かりやすい言葉の方がいいだろうという事で使ったと後から聞きました。
連れさらわれたのは事実です。
しかし、お互いお酒も入っていましたので度が過ぎてしまったと思いますし、部屋に行ったらすぐにその女性は返してくれました。
時間は1分もかかっていません。

あの時、もし逆に日本が負けていたら同じようなことをしたかもしれません。
もしそうなっていたとしても今回のように事実を書いたと思います。

まだまだしゃべる事が中心ですが、今後も斜めやマイナスの物の見方ではなく、まっすぐでプラスな見方で思ったことを素直に書いていきたいと思います。

また何かの機会で私の文書を読まれましたら、感想を聞かせてください。
どうぞ宜しくお願い致します。

岩澤昌美

[元原稿(ここから)
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北朝鮮戦のロスタイム、12年前のドーハでの予選が頭をよぎりました。
このまま引き分けたらまた同じ悲劇が起こるような気がしてなりませんでした。
奇しくも次の相手はイラン。目の前にいる相手はサウジアラビアではないけれど、あのアメリカW杯の予選は初戦が0−0。次がイランに1−2で負けたことで窮地に立たされました。
3試合目の北朝鮮戦ではゴンさん、カズさんのゴールで3−0と快勝したものの、次の韓国戦に勝たないと夢は夢で終わってしまう厳しい状況に変わりはありませんでした。

当時、地元・静岡の放送局に勤めていた私は、夏休みを全部取っておいてアメリカW杯アジア最終予選を応援に行こうとかなり前から決めていました。
さすがに全試合という訳にはいかなかったので、ウルトラスが募集していた韓国戦とイラク戦の2試合の応援ツアーに参加する事にしました。
出発前に会社のサッカーを知らないディレクターから「わざわざ負け試合を見にカタールまで行くなんて気が知れない」と、冷たく言われ「くそっ」と思いましたが、韓国戦に勝った後の電話で「現地からレポート入れてよ」のオーダーに「やだ」と答えたことでチャラにしてあげました。
その頃の日本は、まだ韓国に苦手意識を持っていたので勝つのは厳しいという前評判でしたが、カズさんのゴールで見事に勝利!!
その日の夜は明け方までどんちゃん騒ぎだったことは言うまでもありません。
私たちのホテルは船のホテルだったので、そこだけは治外法権が認められていてお酒が飲めたので、街のホテルに泊まっていたサポーターも集まり、美味しいお酒に酔って上機嫌でプールにも飛び込めた訳です。
ただ、韓国のサポーターも大勢宿泊していたので、一触即発の場面も何度かありました。
今では2002年の日韓W杯の成功のおかげでかなり仲良くなりましたが、当時はお互いを激しくライバル視してましたから試合の結果1つで殺気立っていましたね。
サポーターも戦ってたって事でしょう。
今となればいい思い出です。

さて、話を戻します。
残るイラク戦までの2日間は、みんながまるで監督のようにああでもない、こうでもないとスタメンや戦術について物議をかもし合ったり、星取表とにらめっこしたりしていました。
これだけの長い間、家族じゃない人と同じ瞬間で喜んだり、悔しがったりと同じ感情を持つと不思議と相手のことが感じられるようになるんですね。この出会いで始まった関係は、今も変わることなく同志として続いています。

イラク戦の前夜、私たちサポーターに嬉しい情報が入ってきました。
サウジアラビアが出場停止か登録外の選手を試合に出したとかで、本大会には出られないというのです。
だから、今の時点で1位の日本と2位の韓国は試合の結果に関係なく出場決定だ、と。
これは韓国のサポーターから入った情報だったので、その時だけは日韓戦のわだかまりも消え、日韓友好が見られました。
でも、正直信じられない部分もあったので日本の記者さんにお願いしてAFCに問い合わせてもらったら、夜中にウソだったと分かりショックを受けました。
その他にも、日本はイラクに、韓国は北朝鮮に、サウジはイランに勝たなくてはダメだったので、お金のある国や力のある国は相手選手をお金や今後の身の置き方などで誘ってゲームや得点を操りだしたみたいだよ、なんていう情報で不安になったりもしました。
でもその反面、こんなウワサ話で気持ちを揺さぶらされるなんて、やっぱりW杯ってすごい!と、変なところで感動したりもしました。

そして、1993年10月28日。
すべての結果は歴史の通り。
どうしようもなく悔しくて、でもこの気持ちは絶対に忘れちゃいけない気がして、ゴール裏のスタンドから下にいた記者さんにピッチの芝と砂を一掴み取ってもらいました。それを最後まで絶対に諦めないというお守りにして持ち歩く事にしました。
その4年後、苦しんだ末にジョホールバルで歓喜の涙。
その4年後、1回休み。
そして、その4年後の今年の最終予選はどんな記憶となって私の中に記録されるのでしょうか?
もうそんなに若くないので、衝撃だけは受けたくないと強く願う今日この頃です。

最後に、昔を思い出しながら感じた事を1つ。
中東まで応援に行っていた時の私は自分に何が起こってもいいや、って気持ちでした。
今、目の前で必死に戦っている選手をとにかく応援したかったんです。
今みたいに中東が行きやすい国じゃなかったし、サッカーのチケットも手に入りやすくなかったし、日本のレベルも高くなかったから覚悟しなきゃいけない部分がありました。
でも、ここ数年で全てがよくなって、今のサポーターは恵まれていると思います。
スタンドを見ても華やかになりましたよね。
若い格好いい選手が増えたせいか、黄色い声援も飛び交います。
もちろん、それがいけないとは思いません。
私もとにかく観客を増やしたくて、ラジオで「○○選手は誰に似てる男前です。背番号は○番です。ぜひ!スタジアムに見に来てください」って言ってますからね。
増えてきたサポーターに喜んでばかりはいられません。
ドイツまでのいばらの道を、共に戦う強い気持ちに切り替えてもらいたいんです。
サポーターの声はピッチにいる選手に確実に届いています。
疲れた選手の足を動かす原動力となる声を送り続けてください。
ドイツ行きのチケットを手にするその日まで・・

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「W杯アジア最終予選特集」で書いたコラム (掲載された記事)
第3国開催で“有”観客にしてよ
2005.5.10

 北朝鮮の観客が暴徒化した問題で、国際サッカー連盟(FIFA)規律委員会は6月8日の平壌での北朝鮮戦を、第3国で無観客試合で行う処分を決定しました。そのニュースを聞いた時の感想は「ウッソー、あり得ない!」という感じでしょうか。処分そのものは過去の例からしても概ね妥当なものであり、選手や審判の安全が保証されない状況では第3国開催は当然と思います。ただ、北朝鮮の処分なのに、日本のサポーターまでが締め出されてしまうことに、何か釈然としないものを感じたのは私だけではないはずです。

 ところが、あるサッカーライター氏に聞くと平然としたもので「北朝鮮でああいうことがあったから(処分は)当然でしょう。欧州などではよくある話ですよ。2つ(第3国で無観客)同時は厳しいけど。そんなことより、選手が平壌の人工芝で戦わなくて済むのはいいよね」という答が返ってきました。

 また、あるサポーター氏はこんな感想でした。「第3国開催で北朝鮮の観客だけ締め出したら、本来、あちらのホームの試合が、こちらに有利になってしまう。それでバランスを取って無観客にしたんじゃないのかな。もっとも、スタジアムに入れなくても応援に行くから関係ない。スタジアムの外で携帯式のテレビを見ながら声援を送るんだ」。

 FIFAの決定に怒り心頭だった私ですが、そんなサポーターのたくましさに、頼もしさを覚え、少しばかり落ち着きを取り戻した次第です。

 スポーツの観戦スタイルは様々ですが、サッカーの場合は観戦者を「サポーター(supporter)」と呼ぶことに、その特殊性を伺い知ることができます。和訳すると「支持者、援助者、後ろ盾」といったところでしょうか。つまり単なる観戦ではなく、チームの後ろ盾となるということです。「選手とともに戦っている」という感覚で、それは日本代表のサポーターたちの共通の認識ではないでしょうか。

 1993年秋。当時、地元・静岡の放送局に勤務していた私は休暇を取ってW杯アジア最終予選のうち、韓国戦とイラク戦の2試合の応援のため、カタールの首都ドーハに乗り込みました。出発前に会社のサッカーを知らないディレクターから「わざわざ負け試合を見にカタールまで行くなんて気が知れない」と、冷たく言われましたが、当時はまだサッカー、特にサポーターに対する認識はそのレベルだったのかもしれません。

 また、あの頃は今のように中東は行きやすい国ではなかったし、チケットも入手が困難でした。治安を含めた情報も少なく、様々な危険を覚悟しなければいけない部分はありました。それでも、その時は「自分に何が起こってもいい。それよりも異国の地で必死に戦っている選手を応援したい」という気持ちでした。

 予想通りというか、予想以上に怖い目にも遭いました。私が宿泊していたホテルには韓国のサポーターも多数宿泊していたので、一触即発の場面が何度かありました。彼らは韓国戦に勝って喜ぶ日本人を怒鳴りつけてきたり、廊下ですれ違う時に肩をぶつけて挑発してきました。挙句の果てには日本人の女性サポーターを韓国のサポーターが部屋に連れ去ってしまったのです。これには、さすがに日本のサポーターたちも事態の重大さに気付き、何人かで拉致された女性を助けに行きました。彼らは拉致に対する罪悪感がまるでないようで、本当に恐ろしく、そして怒りを感じました。

 そういう劣悪な環境の中でも応援に行くサポーターの姿勢と、スタジアムでの声援が選手を励まし、疲れた選手の足を動かす原動力になると思っています。

 あれから10年以上過ぎ、スタンドを見ても華やかになりました。若くて格好のいい選手が増えたせいか、黄色い声援も飛び交います。もちろん、それがいけないとは思っていません。入り口はどうあれ、応援するという目的が同じならば。

 私たちサポーターが会場で応援して、その感動(時には悔しさ)を歴史の証人として、次の世代へ語り継いでいく。それがサッカー文化の発展につながると思っているからです。ですからFIFAのブラッター会長、今から「第3国開催で観客あり」にしてもらえません?

 後に「ドーハの悲劇」と呼ばれるようになった1993年10月28日。イラク戦で引き分けて、日本はW杯出場の道が断たれました。スタンドにいた私はどうしようもないほど悔しく、でもこの気持ちは絶対に忘れてはいけない気がして、ゴール裏のスタンドから下にいた記者の方にピッチのナと砂を一掴み取ってもらいました。 それを最後まで絶対に諦めないというお守りにして、今でも持ち歩いています。

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